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| 落札率の奇妙な権威 |
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沢木 太郎 (Sawaki
Taro) |
ライター |
排除勧告を受けた業者に対する京都市の損害賠償請求、前払金廃止を表明した田中長野県知事、落札率八五%なら入札談合ありと決めつける風潮、こうした最近の動きを見ていると、地方の発注者が危うくなっているな、と思う。その危うさとは、建設業界への視点がブレていることにある。
建設業者を社会資本や地域社会の担い手として認める視点が欠落し、ある固定観念のもとに「不良不適格業者」排除に血眼になっているように見えるのである。ある固定観念とは、はじめに談合ありき、という決めつけのことである。入札談合防止を自己目的とする余り、無意味で過剰な競争システムを導入し、建設業界を混乱に陥れ、その結果、施工能力を無視した選定となり、逆に不良不適格業者の参入を招くことになるのだ。
どうしてこうなってしまったのだろうか。いくつかの理由が考えられる。
一つは、発注者の技術力の極端な低下である。現場の技術力への理解がないから、自分の判断でなく第三者や制度へ依拠し、自己責任を果たさない。その象徴は、電子入札の先駆と持てはやされた横須賀市であり、業種区分も実績もランクも廃止して、許可と経営事項審査点数だけで入札参加資格を募った。その理由は国や県が許可し、国の経審を受けた業者だから間違いない、というものだった。現場がどうなろうとも、国の制度に責任あり、我関せずという判断である。その結果、舗装工事を造園業者が請け負うという事態を招いているのはよく知られている。技術力のない発注者が、技術と経営に優れた建設業者を選別できるはずがない。建設業者は発注者を見て仕事をするのである。「上請業者」と「下請(大手)に技術力があるから安心だという発注者」は対の等価なのであり、どちらも技術力欠如の産物である。
もう一つは、今年一月から施行になった入札談合等関与行為(官製談合)防止法の影響であろう。岩見沢市の「天の声」が法律で罰せられたことへのパニックが、地方自治体を入札契約制度改革へと盲走させているといえる。大半の自治体が今進めているのは、先行自治体への追従である。地域の実情、発注者としての能力、業界の実態を踏まえながら、制度改革は進められるべきではないか。
横須賀市が、長野県が、鳥取県が、三重県が、東京都が、と先行自治体の真似に走るのである。よそを見様見真似する時間があったら、自分の地域の業界の声に耳を傾けよ、と言いたいが、実際はそうではない。「岩見沢パニック」に陥っている状況では、そうした余裕すらない。そこでの価値観は「競争」「民間」「第三者」「透明」「世間体」「不法排除」ということになろうか。そして、それらを体言しているものとして公共工事入札契約適正化法(入契法)を見い出すのである。
「官製談合防止法」を入射角に、「入契法」を反射角にしているのが、地方自治体の入札契約制度改革の構図である。今年に入って、制度改革が相次いでいるのは、その構図ゆえである。しかし、反射角の入契法は発注者の自己責任を伴い、それを厳しく求めている法律であるが、官製談合防止法を入射角にしている自治体は自己責任どころでなく、談合狩りのパフォーマンスに走ることに精一杯なのである。入射角は反射角に相等しい、というのは光の法則だが、「相等しくない構図」の中で奇妙なことが多発し、乱反射するのだ。
その象徴が、落札率絶対主義の横行である。日本弁護士連合会の入札制度改革調査報告書では、地方自治体の平均落札率を公表し「百社以上の業者が入札に参加可能となると談合は困難になって一五%ないし二〇%程度落札率が下がると推定される」としている。また公正取引委員会は昨年十一月にPFIの調査報告書で、地方自治体のPFI事業の入札結果と通常公共工事実施推定負担額(PSC)を比較し「PFIと負担額との差である二〇%程度が談合による損害であると推定できる」と述べていた。
こうした動きは落札率に奇妙な権威を与え、長野県公共工事入札等適正化委員会では淺川ダム工事での談合認定を落札率の比較で決め付けたり、京都市が公取委から排除勧告を受けた舗装業者を損害賠償した際も落札率が賠償額算定の根拠となった。また地方発注者の中には、九五%の落札率では談合があったとみなされるから八五%程度とするようにという信じられぬ行政指導をするところもあると聞く。
京都市の損害賠償は、公取委で審判が開始されたばかりにもかかわらず、入札談合による損害を受けたとして訴えたものだ。その請求額として「排除勧告を受けた工事の期間の、市発注のすべての工事の平均落札率(八九~九一%)を割り出した。それを七三件の舗装工事の総予算価格に掛けて、適正落札額を推計し、それから一三社の総落札金額を差し引いた」(建設通信新聞八月七日付)という。まさに平均落札率が推量や判断の根拠となっているのである。
しかし落札率は、予定価格の差額の平均にすぎない。それは刻々変動するものであり、少ない工事を業者が赤字覚悟で奪い合う現状では、価格破壊覚悟の主観が入り混じったものにほかならない。ましてや予定価格を事前公表し、最低制限価格スレスレが落札可能ラインですよと告知している制度のもとでは、落札率は制度が強いた「指し値」の結果に過ぎない。それを是とし、それより上回る落札率を談合の疑いあり、と決め付けるのではたまらない。予定価格は、積算し、これ以下でなければ落札できないとした、発注者の技術的根拠である。それを二〇%も下回らなければ談合だという短絡にも、発注者の技術力の衰退を見る思いがするのである。
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