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2009年10月号
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 【特集】 土木へのまなざし
 私の土木写真事始め
 
-鉄道発土木経由写真行き折り返し土木-
 
 
大村拓也(Omura Takuya) 写真家

鉄道土木と鉄道写真
脱・鉄道
土木と写真の融合
そして土木屋になる
   



「土木は好きだけど、勉強が追いつかなかった……」というのが、専門工事屋ならぬ工事専門の写真屋になった私の本音だ。取材先の施工現場で、学生時代に土木を専攻していたことを話すと、この進路について「なんでそんなもったいないことをしたんだ」という反応をされることが多い。そう言われても、反論はしない。

JR関西本線の第四大和川橋梁。プレートガーターをトラスで受ける特殊な構造だ。1930年代に橋の上流側で発生した地すべりを避けるため、線路を付け替えた際に急遽建設した。土木を知らなければ、一見奇妙なこの構造が生まれた経緯を知ることはなかったかもしれない。
あえて言うならば、発注者や施工者、設計者、研究者など土木に携わるいずれかの仕事を選択するとき、その中に土木を撮る写真屋があっただけのことと考えている。同級生には、自らの適性や将来性を判断し、いわゆる「文系就職」をする人も少なくなかった。その点、私は「もったいない」ことはない。

ところで、土木工学科出身の著名な写真家には、風景写真の竹内敏信氏や里山写真の今森光彦氏、海洋写真の中村庸夫氏らがいる。いずれの方も自然を被写体に活動されていて、どちらかと言えば、土木とは逆のベクトルに向いているような気がする。

一方、土木工学科との違いを比較されることが多い建築学科からは、多数の建築写真家が輩出されている。これは建築学科のカリキュラムにおいて、写真を教材として利用することや、実際に町並みや建造物を写真に撮ることなど、写真やカメラに触れる機会が多いことが要因に挙げられる。そして、建築写真に需要があることも写真家を生業とするうえでは重要だ。

では、なぜ、土木工学科にいた私の中で「土木」と「写真」が結びついたのか?

 鉄道土木と鉄道写真

私にとっての「土木」と「写真」の関係を説明するには、「鉄道」というキーワードを用いる必要がある。

そもそも写真を始めるきっかけになったのは、幼い頃から好きだった鉄道だ。中学校進学と同時に、「鉄道研究部」へ入部。同級生と競うように「鉄道写真」をすることになった。中高一貫校だったので、この部活は6年間続いた。

京浜急行雑色駅付近。線路を立体交差にするために、鉄道の運転が終了した夜間、高架橋を構築する。夜明けまでに終わるように、テキパキと作業が進んでいく。土木工事の段取りの良さは、いつ見ても感心させられる。
また、部活の中では、鉄道模型のジオラマを造る機会もあった。部活の名前からすると、多岐に渡って研究活動にいそしんでいたように思われるかもしれないが、実際は鉄道を乗り回すか、写真を撮るか、ジオラマを造ることぐらいしか、やることがなかった。

でも、このジオラマ造りこそが、私の中での「土木」との最初の出会いだといっても過言ではない。ジオラマ造りは地形という神の領域から、線路の線形や構造物の選択まですべてが製作者である自分たちの裁量に委ねられる。リアリティーを追求するため、線形については曲線半径や勾配、建築限界、カントなど、構造物については橋梁やトンネル、盛り土などの形状に対する知識を必要とした。今思えば、当時はまだ土木という言葉を知らなかったものの、知らず知らずのうちに「鉄道土木」をやっていたことになる。

ただし、実際に土木を意識するのは、高校2年生まで進んでからのことだ。その年の春、部活の先輩に大学の建築学科に進んだ人がいた。その人に、橋について興味があるが、建築学科で勉強できるのか、と質問をしたことがあった。すると、「それは、建築ではなくて、土木だね」と教えてくれたのだ。

当時、橋に興味があった理由は、ジオラマ造りの延長でもあったが、むしろ、鉄道写真をやっていた影響が大きかった。鉄道ファンの間で鉄道橋は、鉄道写真の撮影ポイントとして知られていることが多い。橋は、汽車や電車を撮影する上で、絶好の見せ場なのだ。私は、鉄道雑誌をめくっているうちに、橋の形式や大きさなどに関心を持つようになっていた。特に曲弦トラスなどの古典的な形式は興味深かった。

余談だが今、架け替え工事で注目されている余部鉄橋に関していうと、かつては、近代土木遺産としてよりも、鉄道写真の撮影ポイントとして有名だったのではないかと思う。

ここまでで私の中での鉄道と土木、鉄道と写真のつながりがお分かりいただけただろうか。ただ、実際に土木と写真が結びつくのは大学に進学してからになる。

ちなみに同じ部活から、土木工学の道に進んだのは、5年上の先輩以来のことだった。現在、鉄道会社で建設畑を歩まれているその先輩は、高校時代、ほかの誰よりも鉄道写真がうまかったという印象が強い。

 脱・鉄道

高校3年生まで部活にうつつを抜かしたため、大学進学は1年間遠退いた。だが、その災いが功を奏して、浪人した次の年度から新たに始まった志望していた大学のAO(アドミッション・オフィス)入試を受験することができた。しかも、まともに受験勉強もせずに。

試験内容は、書類審査や作文、プレゼンテーション形式の面接などだった。事前に提出した書類には、志望理由書という物があった。その頃、土木工学科でどんなことが勉強できるのか調べるうちに、交通計画にも興味が出てきていた。そのため、志望理由書には橋のことではなく、LRT(次世代型路面電車システム)を使った都市計画を研究したい旨を書いた。

JR山陰本線余部鉄橋。2010年に新しい橋が完成すると、日本最大級のトレッスル橋梁は98年間の歴史に幕を閉じる。
決してスマートなプレゼンテーションをできたとは思えないが、結果として、見事、大学に合格。2002年、大学へ進学した。

しかし、そこで待ち構えていたのは、軽い燃え尽き症候群のような感覚だった。大学1年生の授業のうち、専門科目は構造力学と測量学のみ。一般教養の科目は、ほとんど興味が持てなかった。専門科目も難しく感じられ、私の土木の勉強に対する意欲はトーンダウンしてしまう。まともに受験勉強をしていないことも仇になった。

また、浪人している間、鉄道写真を含め鉄道趣味からもほぼ足を洗った。鉄道路線の廃線だの、古くなった車両の廃車だの「お葬式」のようなイベントのたびに、精神的に暗くなる一方だったからだ。

写真の趣味は、鉄道にこだわらず被写体の範囲を広げることで継続した。カメラも新しく買ったこともあり、鉄道だけ撮るのは、もったいないと思ったのも理由のひとつだった。

 土木と写真の融合

大学進学と共に、それまで鉄道というキーワードを介して、私の中で隣り合わせに並んでいた「土木」と「写真」は、全く別の方向を向いていた。

偶然にも、この2つのキーワードを結びつけたのは、大学2年生のときに新たに開講した景観工学の授業だった。写真そのものに関する講義があった訳ではないが、土木工学にも写真を活用できることを知るきっかけになった。

2008年6月開通した東京メトロ副都心線。写真撮影の角度や車両の種類からこの場所を割り出せる人は「鉄道マニア」。楕円形のトンネルの断面形状から割り出せる人は「土木マニア」だろう。
それ以降というもの、授業の合間に東京の都市景観を撮って歩くようになった。地図を見ずに歩くことで、予期せぬ発見をすることもあった。橋を中心に土木遺産と呼ばれるような構造物も撮った。独学だったので、決して専門的な知識は増えなかったが、土木に対する興味の範囲が広がった。

実は、大学入学当初から写真撮影のアルバイトをしていた。そのため、周りが就職活動を始めていた3年生の秋頃には、土木の写真を撮る仕事ができたらいいなという漠然とした将来への希望ができていた。

4年生のとき、現在の仕事への方向性を決定する転機が訪れる。同級生との競争の末、景観系の研究室ではなく、構造系の研究室に配属されたのだ。予想外にも、その研究室主催の現場見学会がきっかけで、施工現場の写真を撮る機会に恵まれた。それまでにも、現場見学会というのは参加する機会はあったが、初めて見る現場のスケールに圧倒されるばかりで、現場や土木そのものを理解するまでに至らなかった。

ただし、このときは、以前と違った。事前に工法や施工手順など専門的な知識を勉強して行ったからか、現場の状況をしっかりと把握できたような気がした。写真の出来映えも、はるかによくなった。

それ以降、施工への興味が強くなった。そして、「土木を知る人間の目線で土木の写真を撮ったら、新たな写真のスタイルができるかもしれない」という仮説に行き着いた。

 そして土木屋になる

JR信越本線青海川駅付近。2007年7月に発生した新潟県中越沖地震によって、線路脇の斜面が大きく崩落。不眠不休の復旧活動によって、約2カ月で鉄道の運転を再開した。社会基盤の整備だけではなく、災害復旧においても土木が我々の生活と切っても切れないことを忘れられてはいけない。
大学卒業から3年以上が経過した。現在も、先に挙げた仮説を実証すべく、土木の撮影を続けている。ただし、まだその見通しは立っていない。

幸いにして、仕事として月に二回のペースで、施工現場を撮影する機会に恵まれている。物好きな私にとっては、ある意味、見学会三昧のような生活だ。学生時代に修めた土木工学が今、身を立てている。

そんな私に、「実務こそ知らないだろうけど、お前が一番いろんな土木を知っているよな」と、大学の同級生は笑う。

 
   
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