大石久和 (おおいし ひさかず )
生まれてきて空気を吸っている以上は
楽しいと思わないと損だ 気持ちの持ちよう
土木への出発点
「岡山のいちばん東の端に和気郡日生町という町があるのですが、そこの生まれなんです。そこは瀬戸内海の風景が広がっていて、とても美しいところです。小さい頃から海辺で磯遊びをしていましたから、自分でもいつ泳げるようになったか分からないくらいですね。
この間スウェーデンに行く機会があってバルト海の美しい風景を堪能してきたのですが、バルト海も瀬戸内海と同じように島がたくさんあるところです。その風景と瀬戸内海の多島海風景を比べてみると、勝ち負けで言ってはいけませんけれども、日本の瀬戸内海の風景は十分国際級だと言えると思います。これは私の仮説ですが、日本人の原風景は水田が豊かに水を湛えて広がっている風景で、それを見ると安心できるというか、心が豊かになります。それと同時に瀬戸内海に代表されるような島の風景もまた日本人の原風景ではないかと思うんです。この二つの原風景のうち、私はどちらかというと海の原風景をすり込みながら大きくなってきたのかなということは時々思いますね。
高校二年生くらいのときに土木とか建築とか、そういう世界に進みたいという感じを持ったことがあるんです。高校は神戸高校ですが、その頃の神戸高校は六甲山の山中にヒュッテを持っていて、二年生のときにその六甲山のヒュッテで星を眺めているとき、と言ったら格好いいんだけれども、(笑)『自然の中でする仕事がしたい』と思ったことがかなり鮮明な記憶としてあります。
昔から趣味を聞かれたときには『外で動くこと、体を動かすこと』と言っていました。何をやっても下手なのですが、何かごそごそ動き回っているというのは嫌いなほうじゃなくて、(笑)いまも家庭菜園をやってはいますが、労働の成果はほとんどないんです。(笑)でも、やっていると楽しい。どうして土木を選んだのかは、おそらくみんなよく分からないところがあると思いますが、私の場合はそんなことが出発点だったのかもしれません」
損ですがな
「これまでの公務員生活の中で一番思い出深いことはというご質問には、その時々でいつも楽しんで仕事をしてきましたというふうにお答えしています。私は基本的な考え方として、生まれてきて空気を吸っている以上は楽しいと思わないと損だと思っていますから。いま本省で仕事に追われている若い人にも言いたいのですが、『真夜中まで仕事をさせられて』と思うのか『本省で最も根源的な、クリエイティブな仕事ができるんだ』と思うのかどちらがいいかということです。例えば現場に出されたときも、『こんな田舎に飛ばされて』と思うのか、『最先端で住民と接する仕事をやらせてもらっている』と思うのかの違いです。どちらに力点を置くかによって、自分の状況をいくらでも変えられるし、その気持ちの持ちようがものすごく大事だと思うんです。偉そうに『私はそうしてきた』と言うつもりはありませんが、せっかく生まれて空気を吸っているのですから、うまいと思って吸うか、うまくないと思って吸うかなら、『うまいと思って吸わな損ですがな』っていう感じですね、関西流に言うと」(笑)
質的にいい道路
「道路も含めて社会資本は、ひと言で言うと、需要とか量を追いかける考え方からの転換を求められているのだろうと思うのです。『質的によくなればいい』と言えば簡単ですが、そんなに単純な議論ではなくて、『道路が質的にいいということはどういうことなのか』というのはけっこう難しい命題なのです。
国民の皆さんが生まれて幼年期、学齢期を過ごし、大学なりを経て、働いて壮年期を迎える、またこれからは晩年期の過ごし方が大きな問題となってきます。そのときにどこで何をしながら、その一時代の人生を過ごしていくのかということを考える。緑豊かな田舎で育って優秀な成績をおさめて東京とか大都会の大学を卒業し、大企業に就職して悠々と偉くなり、晩年も大都会で過ごす――これがこれまでのジャパニーズドリームだったと思うのですが、今はどうでしょうか。例えば晩年は地方で暮らしたいと考える方が増えていますね。私も老齢期をどこで過ごそうかと考えてみると、本当に大都会の喧噪の中だけで過ごしていることが幸せなのかと思います。家庭菜園をやっていることもありますが、土と親しんだり、あるいは次世代の子どもたちと交流したり、いまは生涯学習も盛んですから、そういうところに参画させていただくのもいいですね。つまり、そういう舞台装置の一つとして道路を捉えて、道路が本来持つべきサービスは何なのかをよく考えないと、国民のニーズとミスマッチを起こしてしまうことになると思うのです。
具体的に言えば、例えば比較的高齢者の方々が多く、何らかの生産活動で暮らしておられるというような地域では、自動車のための空間よりむしろ歩行空間が大切で、それこそ乳母車みたいなのを押したり、車椅子に乗ったり、あるいは自転車みたいなのに乗ったりするような空間があり、かつ、かなりの頻度で休憩ができなければならない。そういうものがちゃんと用意されている空間が、その地域では最も正しい道路空間だということがあり得るわけです」
それでは先に進まない
「かつて舗装されている道路が近代的な道路だった時期がありました。次に人間が安全に歩けるように歩道をつくり、環境問題等が起きて木を植えた。その時々の要請に応じて道路社会資本は変わってきているのです。私はそれを社会資本の進化と表現したいのです。河川や都市空間、おそらくほかの様々な社会資本にしてもそうです。それを一部の人は『在来型』とか『従来型』という言葉のレッテルを張り、それで全て説明ができたような気分になっている。そこが怖いと思うんですよ。『新社会資本』しかり。どこかに『新社会資本』という青い鳥がいて、その鳥を捕まえさえすれば日本経済はよくなるみたいな、そんなことがあるわけはありません。
要するに『言葉見つけ』で、言葉を当てはめて、それで答えが出たような気分になっている。例えば建設工事費の内外価格差の議論にしても、『談合』という言葉を見つけたら、『わが国は談合があるから高止まりしている』というひと言で終わりで、そこから何も進まない。わが国は地震や雨が多いということがどう影響しているのか。川の水系が多いことが公共工事のコストアップにどれくらい影響しているのか。土地が細分保有されていることがどういう影響を及ぼしているのか。地盤が軟弱だということはどういうことなのかというような説明は一切要らなくなる。『談合』という言葉一つあれば、すべてオーケーでオールマイティです。事故が起きれば『手抜き』という言葉で、そこから先には進まない。それでは科学的なアプローチにはなりません。科学評論家の村上陽一郎氏は『安全学』という本の中で、『“手抜き”という言葉で安全を説明したら、それですべて終わりで、そこから先には進まない』と言っています。もちろん、手抜きの勧めや談合の勧めを言っているわけではありませんが、言葉を見つけてそれで答えが出たような気分になることはわれわれが陥りやすい罠として注意しておかなければならないと思います」
もっとメッセージを
「我々は国土に働きかけることによって、国土から恵みを受けているのです。例えば江戸時代には、新田開発というかたちで国土に働きかけて耕作面積を二倍以上に増やした結果、一千万の人口を三千万人にすることができ、あの江戸時代の国力を持てたわけです。いま我々は新田開発というツールではなく、道路整備や河川改修など地域整備というかたちで国土に働きかけています。公共投資不要論を叫ぶ経済学者や評論家の方々に言いたいのですが、国土に働きかけない限り国土からの恵沢は得られないということです。これは当たり前の話です。公共投資不要論は『国土に働きかけることをもうやめろ』ということなのです。ということは、過去の働きかけだけで十分な成果が得られると思っているということでしょうか。そんなことはちょっと考えれば分かることではないでしょうか。
ドイツは一万一千キロのアウトバーンを持ち、四万キロの鉄道ネットワークを持っていますけれども、私たちの国は六千七百キロの高速道路ネットワークと、たった二万キロの鉄道ネットワークしか持っていません。ドイツの半分のインフラでドイツの国土がドイツ国民に返している恵み以上のものを、わが国土はわが国民にどうして返してくれると期待できるのでしょうか。もちろん日本人はいろいろなものを輸入するというかたちで、世界中の国土も使っていると言えます。しかしそのためには、物流効率のいい空港と港湾を持ち、道路ネットワークがちゃんと結びついていなければならない。そういう意味で国土に働きかけなければならないのです。それでは他の国が国土に働きかけることをやめているかというと、そんなことはありません。ヨーロッパ諸国はどれだけ必死になって、EUを一体化するためのインフラ投資を続けているか。アメリカが新しい時代を迎えるために、どれだけ道路整備をやろうとしているか。我々は国民にちゃんと伝えていかなければなりません。
建設業界の方々ももっとメッセージを発してほしいというのが一番のお願いです。公共投資とか建設業界に対するいわれなき批判に対しては、積極的にものを言っていただきたい。そのためには『発注者に対しても文句を言え』ということをメッセージとして伝えたいと思います。『建設業は請負業ですから』と言われますが、それは逃げの言葉です。そういう言葉を使って、その言葉の中に逃げ込んではいけない。『請負業ですから』と言うときは『どうしようもない』という文脈で使われているのだと思いますが、どうしようもないことなどないはずです。少なくとも契約約款上で対等だと言っているのですから、その対等性を発揮するための努力をしていただきたい。そのためには知識水準を上げなければならないし勉強もしなくてはならない。いつまでも『請負業』という言葉で逃げていたのでは絶対にだめですね」
生きている証
「趣味や特技なんて何もありません。ただ、人が楽しいと思っていることは何でもやってみるほうです。あんなものはつまらないと思う発想とか思考方法は全くありません。だから何でもやりますけれども、何をやっても下手で、何でも中途半端です。碁もやれば、将棋も指すし、マージャン、ゴルフもやりますけれど、オール下手。だけど人が興味を持っていることについては、私も一応は興味を持ったし、やったこともあります。
座右の銘というほど大したものはありませんけれども、何となく思っているのは『参加』あるいは『参画』ということです。これからのわが国のキーワードは高齢者と女性の社会参加あるいは参画ですし、アメリカでは一千万人のボランティアが社会活動に参加し、企業人が地域活動に参加しています。私自身もそうありたいというような意味で参加、参画という言葉を標榜しています。つき詰めるとそれは生きている証しということだと思うのです。ですから、女性を家庭に閉じ込めておくとか、高齢者を介護とか要保護の対象に追い込むようなことは間違っていると思います。できるだけ社会の側にどう組み込んでいくのかを考えるべきだし、我々はそれを道路というツールを通じて応援し、場合によっては法律とか社会システムをつくることで応援していかなければならないと考えています。
そのように考えると、少子高齢化社会というのは暗いイメージでしか議論されていませんけれども、決してそうではないと思いますね。幸いなことにという言い方は語弊があるかもしれませんけれども、幸いなことにいままで我々は女性をあまり社会参画させてこなかった。それはつまり、出産の可能性とか、子育ての可能性さえちゃんと用意できれば、いくらでも参画できるだけの能力と意欲を持った方々を労働予備軍としてたくさん持っているということなのです。その予備軍を全く使わないで、『どうしよう、どうしよう』と言っているところがあるのではないでしょうか。また、高齢者にしても、六十五歳以上で病気をしている人は数パーセントで、十分に社会参加できる人が大勢います。働きたい人は働くことができるように応援したい。『参加、参画』という言葉には、哲学的な意味はありませんけれども、私の中で何かあると常に思い出す言葉なのです」
インタビューを終えて〈桑名一男広報委員会委員〉 「聡明で温厚なお人柄からは窺い知れない眼差しで、建設行政の未来を熱く語られる姿が非常に印象的で、感動いたしました」
〈写真撮影・石川泰士〉
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