文   篠原 修(しのはら おさむ) 東京大学大学院土木系研究科・社会基盤工学専攻・教授
写真 安川千秋(やすかわ ちあき)




没落しつつある野毛の町に活力をという路上のパフォーマンス。芭蕉の鵜飼いじゃないが、楽しくてやがて淋しい。何やら現代の町に住む現代人の心のようにも思えてくる。人との連携を求めながらも……。

 一時期、日本設計の横松宗治さんとパッチワーク都市論に凝っていた。長崎や横浜という都市に人々は何故魅かれるのか。勿論海が見える、地形に起伏があるということはあるのだが、都市があたかもパッチワークのように織り成されているのが大きいのではないか、というのがパッチワーク都市論の仮説なのである。

 都市は地形、河川、幹線道路等により骨格づけられている。しかしそれだけで都市が特徴づけられているわけではない。都市を構成する最小の単位、それは普通には敷地の土地利用と建物だが、それをグレイン(粒子)と呼ぶとすると、そのグレインの種類と集まり方により都市が特徴づけられているのだという見方もできる。このグレインがある地区で純度が高く、一つの特色ある地区(パッチ)となり、そのような地区が織り成されてパッチワーク状になっている、そのような都市がメリハリの効いたパッチワーク都市であるというわけだ。

 こういう見方で長崎を点検していくと、かつてのポルトガル人による内町に始まる敷地の大きい官庁街の地区、中島川を挟む寺町の地区、新地の中華街、大浦の外国人居留地地区等々、長崎には特色のある地区(パッチ)が数多くあって、それらは確かにパッチワーク状に織り成されているのである。これに対して現在(いま)の我が国の都市の大半はモザイク都市である。戸建住宅、中高層マンション、商業ビル、歴史的建造物などの種類を異にするグレインが何の脈絡もなくゴタゴタと入り交じってモザイク状の模様を呈する。地区には何の特色もなく、町はだらしなくズルズルと広がっているのだ。

 さて、こういう都市の見方からすると、横浜という都市はその始まりからしてパッチワーク都市だった。長崎の出島に倣って外国人を囲い込むために関内(かんない)が造成され、それが周囲から際立つパッチをなしていた上に、その内側も日本人町と外国人居留地にきっぱりと分けられていたのだった。その経緯は煩雑になるから省略することとして、横浜には先の関内に加えて中華街、元町、フランス山と山手の洋館住宅街等の明確なパッチが存在する。大正十二年の関東大震災と第二次大戦の空襲による壊滅的な被害、占領軍による長期の中心部の接収、これらによっても横浜のパッチ性は失われなかった。何故だろうか。かつてそれなりの特色を持つパッチで成り立っていた我が国の都市(特に城下町)のほとんどが、次々にモザイク化していってしまったにもかかわらず……。

 こうなると都市にも遺伝子というものが存在するのだと考えざるを得ない。モザイク化を拒否しパッチの形成を指向する遺伝子。この遺伝子は現在(いま)と将来の横浜をも規定していて、MM21地区を関内とは違う超高層ビル群のパッチに、さらに赤煉瓦倉庫の再生を目玉とする新港地区をMM21とはまた違うパッチに導こうとしているように思える。

 大正八年の近代都市計画法制定以来、都市は都市計画家の合理的な判断と強固な意志により、自在にとは言わぬまでも、つくられるものだと考えられてきた。しかし僕に言わせれば都市には都市固有の遺伝子というものが厳然としてあって、その遺伝的特質を超えられるものではない、そう自覚したほうがよいと思う。しかし運命論に陥ることはないので、つまり遺伝子は一つではない。良い遺伝子を見つけ、それを育て伝えること、それが肝要だと思う。平安京はできてすぐに宅地と農地が入り交じるモザイク都市になったとも言うが、この今日まで生き延びる強力なモザイク化遺伝子が、何故かくの如く強いのか、他に良い遺伝子がなかったのかどうか、都市づくりを都市の遺伝子という視点から反省してみる戦後五十年の節目の時期だと思う。



復元され、広場となった船渠(ドック)、ドックヤード・ガーデン。訪ねるたびに思うのだが、滝が落され、裏からはレストランの光が漏れる。きれいだけれど何故か悲しい。しかし他にどう保全できたのかという声が聞こえる。

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気分爽快、汽車道のプロムナード。MM21の数あるプロジェクトの中でも出色の出来だと思う。ここの歩き心地、水面とビル群の織り成すスケール感、トラス橋を渡るレトロ感覚。微妙にカーブを描いてメビオスの門型ビルを抜け、かなたの赤煉瓦倉庫にいざなわれていくシークエンスの感覚。振り返ると周囲の超高層ビルを従えてランドマークタワーが聳え立つ。ここだけは西欧人を案内しても気恥ずかしくならずにすむ。ありがたい。

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